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福岡高等裁判所 平成5年(行コ)24号 判決 1996年9月26日

控訴人

地方公務員災害補償基金

福岡県支部長

麻生渡

右訴訟代理人弁護士

貫博喜

早川忠孝

河野純子

被控訴人

矢島桃代

右訴訟代理人弁護士

辻本育子

梶原恒夫

椛島敏雅

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  申立

控訴人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

第二  事案の概要

一  争いのない事実等

1  本件事故

被控訴人(昭和二二年三月三日生)は、昭和六二年一〇月二六日午前八時五分ころ、田川市立田川小学校給食調理師として勤務中、同小学校給食調理室において、当日の作業分担により配電盤の蓋を開け、右手で熱風消毒器のスイッチを入れようとしたとき、二〇〇ボルトの通電部分に右手人差指が触れて、その場にうずくまった。(乙第一号証の一ないし六、七の1ないし3、第四号証、原審における被控訴人本人尋問の結果)

2  治療経過

被控訴人は、本件事故当日の昭和六二年一〇月二六日、田川診療所で受診し、全身倦怠と診断された。同月二八日、社会保険田川病院に転院し、同月三〇日に電撃障害と診断されて、約二〇日間、通院して治療を受けた。同年一一月一九日、田川市立病院に転院して入院し、同月二〇日に虚血性心疾患と診断され、同年一二月三日には、電撃ショックに続発した合併症と考えられる狭心症と診断された。(争いがない)

同月二二日、診断確定のため、小倉記念病院に転院し、同月二四日に冠れん縮性狭心症と診断された。(甲第一〇号証)

同月二八日、田川市立病院に転院して、昭和六三年二月二二日まで入院し、その後も通院して治療を受けている。(争いがない)

3  本件認定処分

被控訴人は、本件事故による疾病として、昭和六二年一一月一九日付で電撃障害について、昭和六三年二月一六日付で全身倦怠について、いずれも公務上の災害の認定を受けた。(争いがない)

被控訴人は、昭和六二年一二月七日、控訴人に対し、前記の虚血性心疾患、電撃ショック及び狭心症(以下、右傷病名を総称するときは「本件疾病」という。)は公務に起因して発症したものであると主張して、控訴人に対し、公務災害追加認定請求をした。これに対し、控訴人は、昭和六四年一月五日、被控訴人に対し、本件疾病が公務に起因する災害とは認められないという理由で、本件疾病を公務外災害と認定する旨を通知した(これが、本訴取消請求にかかる本件認定処分である。)。(争いがない)

そこで、被控訴人は、地方公務員災害補償基金福岡県支部審査会に対し審査請求をしたが、同審査会は、平成元年一〇月二〇日、審査請求を棄却する旨の裁決をした。さらに、被控訴人は、同年一一月二一日、地方公務員災害補償基金審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は、平成二年一一月二八日、再審査請求を棄却する旨の裁決をし、右裁決書は、平成三年二月一六日、被控訴人に送達された。(争いがない)

二  争点

本件は、被控訴人が本件認定処分の取消しを求めた事案であって、争点は次のとおりである。

1  被控訴人は冠れん縮性狭心症を発症したか。

本件疾病のうち、電撃ショックは、狭心症の原因とされた病名にすぎず、虚血性心疾患は、冠状動脈系を侵し心筋に虚血をきたす疾患群を意味する病態生理学的概念であって、狭心症もこれに含まれるから、結局のところ、争点は被控訴人がその主張にかかる冠れん縮性狭心症を発症したか否かということになる。

(被控訴人の主張)

被控訴人の胸痛等の病歴、昭和六二年一二月二四日に小倉記念病院で行われた冠状動脈造影時のエルゴノビン負荷試験の所見、平成六年一〇月四日に田川診療所でとられた心電図の所見等によって、被控訴人が冠れん縮性狭心症を発症したことは明らかである。

(控訴人の主張)

狭心症の確定診断のポイントは、①発作中又は運動負荷心電図で虚血性ST変化を認めること、②冠状動脈造影で有意の器質的冠状動脈狭窄ないしはスパスム(れん縮)を観察すること、③負荷心筋シンチグラムで一過性欠損像を認めることとするのが、医学上の一般的見解である。しかし、①については、狭心発作中の心電図記録をとるのに有効なホルター心電図はとられていないし、発作中又は運動負荷心電図で一度も虚血性ST変化がとらえられたことはない。被控訴人主張の心電図でも虚血性ST変化は認められず、また、そもそも右心電図は本件事故から約七年も経過した後にとられたものであるから、仮に右心電図に虚血性ST変化が認められるとしても、本件事故により被控訴人が狭心症を発症したことの証拠にはならない。②については、被控訴人主張のエルゴノビン負荷試験の所見からは、被控訴人に冠れん縮性狭心症の発症を認めることはできない。③については、被控訴人に負荷心筋シンチグラムの検査は行われていない。被控訴人の胸痛は、冠れん縮性狭心症によるものではなく、非心臓性の胸痛症によるものである。

2  被控訴人が冠れん縮性狭心症を発症したと認められる場合、右発症が公務に起因するものといえるか。

(被控訴人の主張)

本件事故の電撃ショックによって、被控訴人の全身(心身)に大きな負荷が加わり、これがストレスとなって冠れん縮性狭心症を引き起こしたものである。そして、被控訴人において、本件事故以前には狭心症を発症するような予兆は認められず、本件事故以来、狭心症の症状を呈しており、狭心症を発症する原因として本件事故以外に特段の原因を考えることができないことからすると、本件事故は、冠れん縮性狭心症が発症するについて、少なくとも、相対的に有力な原因のひとつであったと考えられ、その間には相当因果関係が認められる。したがって、右発症は公務に起因するものである。

(控訴人の主張)

冠れん縮性狭心症の発生機序及び医学的経験則から考えると、本件事故のような感電により冠れん縮性狭心症が発症することはありえない。仮に被控訴人主張のとおり本件事故が冠れん縮性狭心症を発症させた原因のひとつであるとしても、右発症につき電撃ショックが被控訴人の素因よりも重要な比重を占めていたとは考えられないから、本件事故は相対的に有力な原因とはいえず、その間に相当因果関係は認められない。したがって、右発症は公務に起因するものではない。

第三  証拠

原審及び当審記録中の証拠関係目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

第四  争点に対する判断

一  争点1について

1  狭心症についての医学的知見

証拠(甲第一二、第一三号証、第二六号証の二、乙第一五、第一六号証、第一八号証の一、原審証人延吉正清、同中村元臣及び当審証人山口洋の各証言)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 狭心症とは、冠状動脈の狭窄によって、心筋における酸素の需要と供給とのバランスが崩れ、心筋虚血(血液不足、すなわち酸素不足)をきたし、その結果、胸部圧迫感や胸痛等の発作を起こすものである。発作の発生様式、部位、程度等は様々であるが、胸骨後部から左前胸部に感じる重苦しい痛み、圧迫感、絞扼感、前胸部不快感が一般的である。症状持続時間は、数分から長くても一〇分以内である。

(二) 狭心症は、誘因・発症様式によって、安静時の夜間・早朝に心筋酸素の供給が減少し発作が起こる安静狭心症と、運動や精神的興奮によって心筋酸素の需要が増加し発作が起こる労作性狭心症とに分類される。一方、発生機序からみると、冠状動脈粥状硬化による器質的狭窄と、冠状動脈れん縮による機能的狭窄とがあり、通常、前者は労作性狭心症、後者は安静狭心症の型をとる。

(三) 冠れん縮性狭心症は、右の機能的狭窄によるものであり、冠状動脈が自然発生的に一過性のれん縮(冠スパスム)を起こし心筋への酸素(血液)供給が減少することを原因とする。そのうち、狭心発作中の心電図上、一過性のST上昇を呈するものは、異型狭心症と呼ばれている。冠れん縮性狭心症は、冠スパスムが容易に生じる状態にあることに起因するが、それは、血管壁自体が内因性又は外因性の刺激に対して敏感に反応する過敏状態になっているからである。このような血管の状態を易スパスム性という。

(四) 狭心症の診断は、病歴の問診に加えて、心電図(発作時心電図、運動負荷心電図、二四時間持続して心電図記録をとるホルター心電図)、冠状動脈造影、心筋シンチグラム等の諸検査によって行われる。冠れん縮性狭心症では、多くの場合、非発作時に身体的所見や心電図に異常のないことから、狭心発作中の心電図記録が重要であって、そのためには、ホルター心電図検査が有用である。心電図は、心臓の活動によって生じる電位変化を身体表面の適当な部位から波形として記録するもので、心筋虚血の有無を判定する方法である。冠れん縮性狭心症ではSTが上昇し、例外的にはSTが下降する場合もある。ただ、心電図異常を示さない症例もある。冠状動脈造影検査は、冠スパスムを直接観察する方法であって、検査中に冠スパスムが自然発生することは多くないので、一般には、エルゴノビン(子宮収縮剤)等の薬物を投与して冠スパスムを誘発する方法がとられている。右検査において、冠状動脈の易スパスム性が観察されれば、冠れん縮性狭心症と診断される。

(五) 狭心発作にはニトログリセリン(亜硝酸剤。冠状動脈を拡張して血液流量を増加させる効果がある。)が有効であって、患者にニトログリセリンを舌下投与し、一、二分の間に発作が軽快すれば、狭心症が強く疑われ、全く効果がなければ狭心症である可能性は非常に少ない。また、冠れん縮性狭心症には、カルシウム拮抗剤(主に心臓の収縮を抑える効果がある。)が有効である。

2  被控訴人を冠れん縮性狭心症と診断した前後の経過

証拠(甲第一〇号証、第一一号証の一、二、第一四ないし第二四号証、第二六号証の一、二、第二七、第二八、第三〇号証、第三一号証の二、第三二ないし第三四号証、乙第七号証、第九号証の一、二、第一〇、第一四号証、第一九号証の一ないし三、第二〇号証、第二一号証の一ないし四、原審証人延吉正清の証言、原審における被控訴人本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 被控訴人は、本件事故(昭和六二年一〇月二六日)後、頭痛、全身疲労、胸部不快感を訴えていたが、同年一一月一八日の夜間睡眠中、胸部圧迫感が出現して覚醒し、これが約二〇分間持続したため、同月一九日、田川市立病院に入院した。同病院に入院後も、一日に一回の頻度で夜間、胸痛が出現し、その都度、処方されたニトログリセリンにより、右症状は軽快した。被控訴人は、昭和六三年二月二二日に同病院を退院したが、その後も、主に、季節の変わり目や、寒暑の厳しいとき、疲れたときなどに胸痛が出現し、胸痛や全身倦怠感等の治療のため、田川診療所に通院を続け、胸痛がひどいときには、同診療所から処方されたニトログリセリンを舌下している。

(二) 被控訴人は、昭和六二年一二月二二日、確定診断のため、小倉記念病院に入院したが、同病院の医師延吉正清(以下「延吉医師」という。)は、同月二四日、被控訴人に冠状動脈造影検査を行い、薬物負荷を与えないときには冠狭窄を認めず、エルゴノビン負荷において、右冠状動脈と左冠状動脈に、いずれも、タイプCに分類されるび慢性の冠スパスムが誘発されたと判断した。そこで、延吉医師は、右所見と被控訴人の病歴から、被控訴人の疾病を冠れん縮性狭心症と診断した。

(三) 延吉医師らは、昭和五七年ころ、安静時の自然発作が心電図でとらえられた症例中、ST上昇を認めた異型狭心症例四二例、及びST低下を認めたST低下型安静狭心症例三三例と、非狭心症例三三例とを対象としてエルゴノビン負荷試験を行い、その冠スパスムの程度等を比較検討した結果、冠状動脈径の内径縮小率五〇パーセント以上をスパスム陽性としたほうが狭心症例を数多く捕捉できるとの結論に至っていた(甲第二六号証の二)。そこで、延吉医師は、右臨床試験の結果から、エルゴノビン負荷により誘発された冠スパスムにつき、完全狭窄をタイプA、限局的な高度の狭窄をタイプB、び慢性の五〇パーセント以上の狭窄をタイプCに分類し、いずれにも易スパスム性があるものとの見解に立ち、被控訴人の場合も、このタイプCに該当すると判定したものである(なお、後記山口教授が被控訴人の造影フィルムでは右冠状動脈にはせいぜい五〇パーセントの狭窄が認められるにすぎないとの所見を示すのに対して、延吉医師は五〇ないし七五パーセントの狭窄が認められると反論する。)。

(四) 被控訴人は、昭和六二年一〇月二八日に社会保険田川病院で、同年一二月一〇日と同月二四日にそれぞれ小倉記念病院で心電図検査を受けたが(二四時間持続して記録をとるホルター心電図検査は行われていない。)、いずれの心電図にも異常はないと判定され(なお、田川市立病院は被控訴人の疾病を虚血性心疾患ないし狭心症と診断しているが、右のように心電図に異常はなかったのであるから、右の診断は病歴問診とニトログリセリンの有効性からなされたものと推測される。)。ところが、田川診療所で受診中の平成六年一〇月四日午前一〇時二〇分ころ、被控訴人が胸部のしめつけがひどいと訴えたため(このときは、一〇時二四分ころニトログリセリンを舌下し五分位で楽になったとのことである。)、同診療所で心電図検査が行われたが、この心電図について、小倉記念病院の医師阿部正幸(以下「阿部医師」という。)はV5(V1からV6までの誘導は胸部誘導)、V6にST上昇があると判読し、また、延吉医師はV1、V2にST上昇があり、V3からV6までに深いT波の陰性があると判読している。

3  順天堂大学医学部循環器内科主任教授山口洋(以下「山口教授」という。)の意見

証拠(乙第一八号証の一、二、第二二、第二九号証、当審証人山口洋の証言)によれば、以下のとおりである。

(一) 冠状動脈造影検査における薬物負荷試験の判定

右負荷試験において、典型例では、九〇ないし一〇〇パーセント狭窄に及ぶ血管れん縮、心電図のST上昇及び強い狭心痛を引き起こすから、診断に疑問の余地はないが、中等度から軽度な反応しか呈さない症例では、造影上何パーセント以上狭窄を生じたときに、スパスム陽性とするかは学者あるいは術者により判定の基準に幅があり、また、同じ患者でも、そのときに置かれた精神的・身体的条件で反応が異なることがある。一般には、九〇ないし一〇〇パーセント狭窄では強陽性、七五ないし九〇パーセント狭窄では中等度陽性、五〇ないし七五パーセント狭窄では軽度陽性とすることもできるが、軽度陽性の場合に、これがはたして冠れん縮性狭心症といってよいかは問題があり、一回の造影所見のみで断定するよりも、それ以外の検査、例えばホルター心電図で胸痛時ST変化をとらえたとか、血管れん縮予防の薬を投与した後は発作が止まったとかの臨床データも参考にすべきである。延吉医師のいう、タイプCという分類は、かなり主観的なものであって、医学界における一般性はない。

(二) 小倉記念病院での前記エルゴノビン負荷試験

右負荷試験による造影フィルムをみると、左冠状動脈に狭窄はなく、右冠状動脈には、せいぜい五〇パーセントの狭窄があるにとどまる。び慢性狭窄(局部だけではなく全体的な狭窄)の有無については、緊張が高まっている状態ではあるものの、これを確認することはできず、延吉医師のいうタイプCに該当する所見もない。

(三) 被控訴人の疾病

心電図に異常所見はなく、前記エルゴノビン負荷試験においても易スパスム性はとらえられないから、被控訴人が狭心症を発症したとは判断できない。被控訴人は、本件事故の後、不安神経症的な状態となり、その間の種々の検査や、医師の診断・説明等の影響によって、いわゆる心臓神経症から胸痛症候群(胸痛症)になったものと考えられる。胸痛症の原因としては、非心臓因子だけでも、肋間神経痛、肋間筋肉痛、横隔膜神経けいれん痛、食道けいれん等、一〇以上のものが考えられ、また、右のような胸痛症でも、ニトログリセリンが効くように自覚的にも他覚的にも判断されることはしばしばありうる。

(四) 平成六年一〇月四日に田川診療所でとられた前記心電図

右心電図に、阿部医師や延吉医師の指摘するST上昇はない。V1、V2、V5、V6のST上昇はアーリー・リポラライゼイション(早期再分極。心全体の脱分極(電気的興奮)が終了する以前に、早期に興奮を開始した心筋の再分極(興奮消退過程)がすでに開始しているために起こるもので、健常者でも認められる。)という見かけ上のものであって、実際には上昇していない。このほか、延吉医師はV3からV6までに深いT波の陰性があると指摘するが、V3のT波陰性化は深くなく僅かである。結局、右心電図の変化としては、V4からV6までの前半部分にT波の陰性化をみるのみであるが、これをもって異型狭心症と診断することはできず、過呼吸症候群発作時か神経循環無力症からきたものともいえる。

4  そこで、前記1の医学的知見を前提に、前記3の意見とも照らし合わせて、前記2の事実から被控訴人の疾病が冠れん縮性狭心症と認めることができるか否かについて検討する。

(一) 延吉医師は、前記エルゴノビン負荷試験の結果、右冠状動脈と左冠状動脈に、いずれも、タイプC(五〇パーセント以上の狭窄)に分類されるび慢性の冠スパスムが誘発されたと判定する。しかし、延吉医師が実施した前記臨床試験によっては、異型狭心症例及び安静狭心症例で五〇パーセントの狭窄にとどまる場合があることは確認できるとしても、逆に五〇パーセントの狭窄があれば直ちに狭心症である(易スパスム性あり)とまでは断定できず、現に、右臨床試験の結果を発表した論文(甲第二六号証の二)には、五〇パーセント狭窄を基準にすると非狭心症例の二四パーセントがスパスム陽性となったことが記載されている(ただ、右論文は右の症例は無症状である狭心症を合併している可能性も完全に否定できるものではないとする。)。右論文にも、判定基準としては完全閉塞ないし亜完全閉塞(七五ないし八五パーセント以上)をスパスム陽性とする報告が多いことが記載されている。山口教授は、タイプCという分類には医学界における一般性はないとし、中村学園大学大学院研究科教授中村元臣も、タイプCという分類は世界共通的には受け入れられていないとの意見であり(原審証人中村元臣の証言)、さらに、産業医科大学教授黒沼昭夫は、七五パーセント以上の狭窄を有意狭窄とすることが多く、五〇パーセント以上の狭窄を有意の狭窄とするかどうかは議論の分かれているところであるから、その判定には慎重を要する、との意見である(乙第一二、第一三号証)。以上によると、タイプCという分類には非狭心症例が混入する可能性があり、医学上も一般的に採用されているものとはいい難いのであるから、前記エルゴノビン負荷試験の結果によっては、被控訴人の冠状動脈に易スパスム性があるものと判定することはできない。

(二) 阿部医師及び延吉医師は、平成六年一〇月四日に田川診療所でとられた前記心電図をST上昇等の異常があると判読する。しかし、証拠(甲第一〇、第三〇号証、第三一号証の一ないし三、乙第一四号証、第一九号証の一ないし三、第二九号証)及び弁論の全趣旨によれば、前記2の(四)のとおり、昭和六二年一〇月及び一二月の心電図については異常を認めないとされているところ、これらの心電図にも、田川診療所での前記心電図と同様に胸部誘導においてSTに上昇傾向があるから、阿部医師らが指摘するST上昇は山口教授のいう早期再分極である可能性が強いこと、田川診療所での前記心電図には、V3ないしV4からV6までにT波の陰性化がみられるが、これをもって直ちに心筋虚血があるものとは断定できないことが認められ、右事実に照らすと、田川診療所での前記心電図に変化があることをもって、被控訴人に心筋虚血が発生したものと判定することはできない。そうすると、被控訴人については、心電図検査をもってしても心筋虚血の存在は明らかにされていない。

(三) 延吉医師及び田川市立病院の医師は、被控訴人の病歴やニトログリセリンが有効であることをひとつの根拠として被控訴人が狭心症を発症したと診断する。しかし、山口教授の前記3の(三)の意見(胸痛症の原因、ニトログリセリンの効果)は、原審証人中村元臣の証言と併せ考えると、医学上の一般的な見解であると認められる。また、胸痛の持続時間や、ニトログリセリンの舌下から胸痛軽快までの時間については、小倉記念病院での問診表で知られる程度で(甲第一〇号証、乙第一九号証の一はその一部。前者につき五ないし一〇分、後者につき五分以内(効かないときは+一錠)と記載されている。)、その詳細は不明である。これらの事情に照らすと、前記2の(一)の事実(被控訴人の病歴、ニトログリセリンの有効性)から、被控訴人が狭心症を発症したものと認めるのは困難である。

(四)  以上のとおり、被控訴人については、冠状動脈の易スパスム性や心筋虚血は確認することができず、その病歴等からも狭心症との断定はできないのであるから、被控訴人の疾病をもって冠れん縮性狭心症であると認めるのは難しく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

二  争点2について

被控訴人の疾病が冠れん縮性狭心症であるとの証明がなされた場合を仮定し、その発症と本件事故との間に因果関係(条件関係)を認めることができるか否かについて検討を加えておく。

1  証拠(乙第一八号証の一、原審証人中村元臣及び当審証人山口洋の各証言)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 冠状動脈が易スパスム性を獲得して冠れん縮性狭心症が発症する機序については定説がなく、比較的有力な説として、次のものがある。すなわち、冠状動脈壁には、血管平滑筋や自律神経(血管運動神経)終末等が血圧や血流量を生理的に維持するために合目的に配列され、血管の緊張を保っているが、加齢あるいは何らかの後天的原因によって、平滑筋繊維の走行の乱れや断裂、あるいは自律神経終末の配列の乱れ等を呈するようになる。その結果、右の生理的血管緊張に不均一をもたらし、これが反復する求心性の刺激となって自律神経系に極めて不安定な状態(易スパスム性)を形成し、血管緊張度を変えるような内因性・外因性の刺激に対して敏感に反応し自然発生的にスパスムを起こすことになる。

(二) 電撃ショックが冠れん縮性狭心症を発症させるか否かについて、臨床例の報告はなく、これが論じられた医学文献もない。

2 右の発症機序に関する説明に従うと、電撃ショックが易スパスム性獲得の後天的原因であるとの科学的・医学的確証が得られれば、冠れん縮性狭心症の発症と本件事故との間に条件関係を認めることができるのであるが、いまだ、これを認める医学上の知見は存在しない。また、前記のとおり、被控訴人は本件事故の約三週間後に胸部圧迫感を訴えているのであるが、易スパスム性の獲得は加齢あるいは何らかの後天的原因といった種々の原因によって引き起こされるのであるから、胸部圧迫感出現の前に本件事故があったというだけでは、右の条件関係につき高度の蓋然性の証明があったとすることはできない。延吉医師は、原審証人尋問及び甲第二六号証の一、第二八、第三三号証において、電撃ショックが被控訴人の身体に大きなストレスを加え、これにより被控訴人に冠れん縮性狭心症を発症させたと述べるが、これには何らの科学的・医学的説明も加えられておらず、直ちには採用できない。そして、他に右の条件関係を認めるに足りる証拠はない。

第五  結論

以上によると、本件疾病を公務外の災害と認定した控訴人の本件認定処分に違法はなく、右処分の取消しを求める被控訴人の本訴請求は失当として棄却すべきである。よって、右と異なる原判決を取り消すこととし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官秋元隆男 裁判官池谷泉 裁判官川久保政德)

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